ソール・ライターはパンチラである

「全裸よりパンチラの方が絶対抜ける」と彼は言った。「パンチラを見逃したら死にたくなる」とも言ったし、「バカかお前。パンチラを見るために階段は存在してるんだよ」とも言った。僕はそれに対してずっと理解しかねていた。

なぜパンチラはそれほどまでに男を興奮させるのか。その答えが今日少し分かった気がする。

その答えを教えてくれたのは、アメリカはピッツバーグ生まれの写真家、ソール・ライターだ。彼の作品を見たことがあるだろうか。彼の作品の中で、僕が好きな写真の一つがこれだ。f:id:jinrui-9415:20170621213742j:image

連なる車の左側に、ヒョイと何かを飛び越えた猫。静止画なのに躍動感がある。可愛い。圧倒的白黒。白黒で以って白黒を制す。そんな猫の決定的瞬間をファインダーに収めたこの作品。まさにこの場所、この瞬間でしか撮れない写真だろう。一瞬でもカメラを構えるのが遅ければ、この写真はこの世界に存在していなかったことになる。

そう、これこそがソール・ライターの真髄、「偶然の美学」である。

お気づきではあると思うが、今日僕は渋谷Bunkamuraのソール・ライター展に足を運んできた。そこで彼の写真を何枚も見て感じたのは、「自然体で着飾らず、偶然に撮られた写真こそ美しい」ということだ。あなたは、「前を歩く彼女を撮ろうとしたら、偶然無防備な顔で振り向いて、その時の顔がめちゃくちゃ可愛かった」という経験をしたことがあるだろうか。僕にはあるわけないだろ。いい加減にしろ。

パンチラ好きの彼が言いたかったのもこういうことだったのではないか。

パンチラは偶然によって為し得るものである。まず、偶然というのは価値が高い。なぜなら、それは常に露見しているわけではないからだ。このスリル。そして幸福感。そしてもう一つ、偶然においては、完全に無意識の状態であり、全く着飾っていない。これは即ち、相手の最も自然な姿を目撃していることになるのではないか。この二つの要素によって、今日もパンチラは全国の男性諸君から根強い支持を得ている。

パンチラと違い、AVは買い手がいる前提で撮られており、そこに出演する人物達は、悪い言い方をすれば、相手に「媚びた」撮られ方をしている。これは、Twitterや、Instagramなどの、SNSに無数に挙げられている写真達にも同様に言うことができる。地球を模したモニュメントの前で撮られている、足を組んだ女子高生たち。「インスタ映えする」と囃し立てられた、味よりも見た目が重視された料理。これらは決して自然ではない、偶然と対立する存在たちである。

AVやSNSの写真が悪いわけではない。これらは確かに、自分の表現したいものを前面に押し出すことができるし、見栄えもいい。失敗することも少ないだろう。だが、先ほどあげた、偶然撮られた写真のような感動はないはずだ。現に、SNS上には、同じような構図の写真が溢れているだろう。

僕は、「僥倖」という言葉が好きだ。語感がかっこいい、というのもあるが、何より「偶然の幸福」なんて素敵じゃない?最近僥倖に出逢うことが多くて、その時その時で感動している。予知出来ないからこそ、人生は面白いと思う。(面白さを求め過ぎるあまり、失敗することも多いが)

あなたは、「その瞬間でしか撮れないもの」を撮っているだろうか。見ているだろうか。体験しているだろうか。

最後に、ソール・ライターの言葉でこの文章を締めたいと思う。興味を持ってくださった方は、今週の日曜までなので、ぜひ彼の偶然の写真たちを見に渋谷へ行って欲しい。(本当は、ソール・ライターの撮ったヌードの写真がめちゃくちゃエロかった話もしたかったが。)

 

 

ーー写真家からの贈り物は、日常で見逃されている美を時折提示することだ。

 

 

 

 

 

(痴漢や盗撮は犯罪なので絶対にやめましょう)