梶井基次郎「檸檬」的、彷徨少年の憂鬱

えたいの知れない不吉な塊が私の心を始終壓へつけてゐた。

 

いつでも、どこを歩いていても、何キロもある土嚢を背負っているかのように身体が重かった。いつも歩いているはずの大学への道のりも、やけに長く感じた。道を歩く人々が、敵のようにも感じた。歩いているだけなのに、重大な犯罪を犯してしまいそうな恐怖とその精神を抑えつけることによって、大学に着いた時には疲弊しきっていた。精神がおかしくなる寸前だった。「わいせつな行為をした疑いで21歳男性逮捕」のテロップが報道番組に出ている、そんな映像が想像された。全身に汗をかいて、シャツが張り付いているのが不快で、他人へ不快感をもたらしているかもしれないという想像もまた、自分の精神を蝕んでいった。授業を受けていても、まずまっすぐただ座っている、ということができなかった。重力に従って頭は垂れ下がり、机にくっついて離れなかった。全身が脱力し、机がなければ僕は教室のど真ん中に横たわっていただろう。そんな哀れな自分を頭の中で眺めると、滑稽で仕方がなかった。

結局、今日も3限と5限を休んだ。

一人でカラオケに行った。ただ、歌詞を見て、動くバーに合わせて、声を出した。もちろん高音はまるっきり出なかったし、90点もまた出なかったが、何も考えない、という生きているだけでは到底不可能なことが達成された。しかもその値段が1000円もしないことに感動を覚えた。

いくらか足取りが軽くなったことを確かに感じ、空が青いということに今更ながら気がついた。昨日は雨だったはずなのに、今日はやけに陽が照りつけていた。

スーパーに寄ると、スーパーで低賃金で働かされている友達のことを思い出した。良い給料のアルバイトを斡旋してあげたかったが、先日啖呵を切ったこともまた思い出して、やめた。いつもあるはずの惣菜バイキングもその日はなくて、失望はさらに加速して行った。

家。犬。それだけの要素が僕の土嚢を下ろした。もちろん慢性的な腹痛に悩まされているのはいつものことだったし、今日は軽い方だったので、それは気にかからなかった。

3時を回った時に、ひとりの友達から連絡が来た。しまった。遊ぶ約束を来月と勘違いしていた。今日はバイトだった。「こちらこそ確認してなくてごめんな」という文が返ってきて、友達の優しさに感謝しながら、僕はただただ謝ることしかできず、僕の中の「良心」「正義」「友情」そう行ったものたちが僕の心に鉄槌を振り下ろした。振り下ろされる鉄槌の雨の中、僕はただただ謝ることしかできなかった。 

バイト。生徒は誰一人としてやる気がなかった。僕は周りの空気に左右されやすいので、あくびをしながら解説や採点をした。異常なほどの眠気が僕の肉体を支配していた。この眠気の正体はすでに暴いていた。昨日の夜も、リビドーとタナトスによって発狂寸前だったせいで眠れなかった。夜は眠れず、昼は眠たい。絶望的な睡眠のサイクルだったし、睡眠というものが憂鬱を晴らしてくれるものだとしたら多分睡眠が足りてないんだろうな、とぼんやり感じた。簡単なことすらできない生徒たちに、今日は彼らを勇気付けたり叱咤激励するほどの元気は僕には残っていなかった。

応援している友達のバンドのMVも見る気になれなかった。何故かは分からないが、恐ろしかった。大好きだった京都土産も、ただ腹に押し込むだけの食料としてしか認知できなかったし、去年なによりも優先してきた野球も、見る気になれなかった。ただ、楽器を弾いている時は、心が入れ替わったように楽しかった。もちろんその途中で、他人の悪い評価やできないフレーズが出てきて、破壊的な衝動に陥って、全ての弦を解放して力任せに掻き鳴らすことが何回かあったが。

前まで僕の生きる糧であり、煌めかせていたものたちも、何かが僕をいたたまれなくさせていた。僕はこの狭い狭い空の下で土嚢を背負って彷徨するのみであった。どこへ行っても、逃げ場がないような感覚だった。リラックスできる場所がない。どこにいても、茫漠とした不安は付いて回った。世界が白黒に見えて、自分が歩いているはずの道すら真っ黒く染まっていて見えなかった。歩いているのは確かだが、進んでいるのかわからない。ちょうどランニングマシーンの上で歩いているようだった。進んでいる感覚がない。何ヶ月も耐えたが、好転する気配すら見せない。寧ろどんどん悪化していく気配すら感じる。身につけてきた大切なものをどんどん脱ぎ捨てて、失っていくような感覚があった。何をすれば良いのかわからない。全てが無駄に見えたし、全てが終わってもいいとすら思えた。

檸檬はどこに売っているのだろうか。