善玉菌-フランケンシュタインの恋を見て-

菌。

あなたはこの言葉を聞いた時どんな言葉を想像するだろうか。

バイ菌。カビ菌。虫歯菌。

もしくはもっと抽象的に。小さくて目に見えないもの、とか、人を蝕むもの、とか、汚いもの、とかそんなことを考えるだろう。

少なくとも、「食べたい」とか「ペットにして愛でたい」なんて人はいないだろう。

でも、僕たちは日頃から「ビフィズス菌」や、「乳酸菌」を食べ、「腸内細菌」を体内で飼って愛でている。

おかしくね? 

「菌」という言葉はあまりに強い。

 

フランケンシュタインの恋。今日(正確には昨日)で最終回が終わった。初めは、別に誰々が好き、とかそんな理由はなく、本当になんとなく、「連ドラを見たいなあ」くらいの勢いで見始めた。結局久しぶりに連ドラを最初から最後まで継続して見た。

トーリーは、綾野剛演じる、人間を死に至らしめる菌を放出してしまう怪物が、二階堂ふみ演じる女子大生に恋をしてしまう、と言う話だ。

感想から言うと、「大学の教授は間違いなくそんなことは言わない」とか、「話が超越しすぎ」とか、突っ込みたい綻びはいくつもあった。だが、メッセージ性が強く、「言葉」や「人間」についていちいち深く考えさせられた。俳優陣の演技の上手さにも感動したし、最終回で髪を短髪にした二階堂ふみがめちゃくちゃ可愛かった。少なくとも毎週日曜日が楽しみになるくらいにはこの作品を楽しめた。主題歌のRADWIMPSの「棒人間」も、RAD節全開だったが、絶妙にドラマにマッチし、文字通り「主題歌」としての働きをバッチリ果たしていた。これがこのドラマのために作られたものではないというのが驚きだ。また、「恋」がタイトルに入っていながら、イチャラブ要素が少なかったのも個人的には高得点だった。そして何やり、製作者側の強い想いが如実に作品に滲み出ていた。

 

「転校してきた生徒が『菌』と呼ばれイジメられる」

「福島から避難してきた生徒が先生から『菌』と呼ばれる」

そんなニュースを聞いたことがあるだろうか。

菌。

おそらくこのドラマを考えた人は、このニュースを考えて考えて、そして自分なりの答えを放出したんだろう。

 

僕も、学生時代に友達を菌のように扱ったことがある。○○菌とか言って他人に擦りつけたりもした。他人がやっているのを面白がって真似た。遊びのつもりでやった。もちろんその人が何かの菌でないのは知っていたし。だからそんなに悲しむとは思ってもいなかった。

「菌」という言葉はあまりに強い。

 

「僕もいつの日にかホントの人間になれるんじゃないかなんてそんな夢を見ていました夢を見てました」

なんて思ってたなんて知らなかった。

他人を貶めるのは、いつでも想像力の欠けた人だ。僕のように。

 

僕の想像だが、このドラマを作った人はきっと、こんなメッセージをドラマに込めたんだろう。

人は誰でも、人を救う力を持っている。

たとえ他人に菌と呼ばれようとも、「菌」が他人を、世界を救うのだ。

だから世界を閉ざさないでほしい。いつか必ず、誰かが「菌」を必要とする時がくるから。

「菌」はあまりに強い。

 

僕は、あの時よりは、想像力を養うことが出来ただろうか。君の傷を想像することが出来ているだろうか。

僕がこんなことを思うのは、君には茶番に思えるかもしれないが、君のような人や、僕のような人がこの世からいなくなる…それは出来なくても、せめて少なくなりますように。