手記 ③

2/7(金)

東京は冷凍都市さながらだった。鉄のように冷たい風がビルの間を吹きさすんだ。肩を揉んでもらった時、自分の肩があまりに硬すぎて(カタだけに)思わず笑ってしまった。これもすべて冬の寒さのせいだ。

久しぶりに他人と会話をした。久しぶりに表情筋を動かし、喉を震わせ、目を細めた。自分の声が綺麗だとは思わないが、親戚の子どもに久しぶりにあったかのような懐かしさを覚えた。27の歌詞が僕の心に刺さった。結局のところ、僕はこうして生きてきてしまったのだ。加えて、一人にはなりきれずに、誰かのことを想っているのだ。それは紛れもない事実である。どんなに心を閉ざしても心は叫びたがっている。僕は僕自身の気持ちに素直になるべきであり、僕のために僕を生きるべきでもあった。それは非常に難しい。自分で選択すると言うことには常に責任が付きまとう。厄介だった。ココアは今日も暖かく、甘かった。その甘さに最近の僕は虜になっている。一人で流していく生活は自由で、それなりに充実していて、それなりに退屈だった。LINEの通知はいよいよ100件を超えた。だが、いまだに怖くてそのままにしている。ただ、近いうちにそれらに返信しなくてはならなかった。

他人はこんなに愛せるのに、自分をどうしても愛せない自分の天邪鬼を恨んだ。それにしても、僕は僕が憎くてたまらないのだ。なんて悲しい運命だろう。僕の僕自身による冷たい言葉に触れるたびに、僕の心は鉄の塊のように重たくなっていってしまうのだった。これもすべて冬の寒さのせいだ。

手記 ②

2月6日(木)

 

「八方美人、という言葉が鍵となるかもしれないね」とあの医者は言っていた。僕はそんなわけがないと思っていたが、次第にそのキーワードが頭の中を回り始めた。結局のところ、僕は誰にも嫌われたくないのだ。でもそれはみんなも同じでしょう。

セックスに対して考えなければならなかった。なぜかと言うと、それに関する本を読んだからだ。恋愛においてセックスが付き纏うことに怒りにも似た受け入れがたさを感じていたが、いずれ僕はそれを受け入れなければならないだろう。なぜなら、人間に腕がついているのと同じように、また、人間が食事をしたり排泄をしたりするのと同じように、人間はセックスをしなければならないからだ。僕は清潔でなければいけない。それは純潔でなければならないと言うことではなく、あくまで雰囲気や臭いの話である。

書かなければならないことを忘れてしまった。多分これは思い出せないだろう。記憶はいつも手に届きそうで届かないところにある。何にせよ同じだ。

東京、東京、と切実な叫びが聞こえる。しかしひょっとすると切実ではなく、単なるパフォーマンスなのかもしれない。これはよく分からなかった。だが、フィクションかノンフィクションかなんて音楽を聴いているだけの僕にとってはどうでもいいことだった。

SNSの投稿を、携帯にかじりつくようにして待ち構えていたあの時よりは幾分か心が楽になった。待ち構えるなんてバカバカしい、と思うだろうか。でも、あの時の僕にとってはそれがすべてだった。

書きたかったことを思い出した。以前、先生に「内部+外部=全体概念ならば、内部=全体概念である」と教わったことを思った。そして、生活から外部を排除することにした。その結果、確かに「内部=全体概念」的であった。マインクラフトにおいて孤独を感じないのは、そもそも世界において主人公一人だけなので、一人なのが当たり前だからである。しかし、現実世界で生活していると、いずれは限界が来る。限界が来たならば、再開する最初は、まだ一度も遊んだことのない彼とが良いかもしれないな。なんてことを思った。しかし何を話すんだろう。会話は続かなそうだが、もしかすると白熱した話が出来るかもしれない。できるならば二人きりで話したい。本のことなどを話すのも良いかもしれない。

明日は久々に朝が早い。

手記 ①

2/5 (水)

夜の道を歩き続けるのは寒い。しかしひたすらに歩き続けなければならない時もある。それは立ち止まりたくなる哀れな精神との闘いである。肉体との乖離を感じる。耳にはゆらゆら帝国が流れてくる。トレモロのかかったリフが永遠に終わることがないようで、気持ち悪かった。

医者は梳かしたあとがきれいに残った白髪混じりの男だった。冗談を言うたび歯の黄ばみが目立った。何を言っているのか分からない時もあったが、彼の言葉は僕のささくれだった心の薄皮を剥がさなかった。また、時間が長く丁寧で驚いた。僕は土曜まで歩き続けることにした。

夜は深い。小さな蛍光灯が天井を照らしていた。予想に反してLINEの通知は溜まっていく。それを溜めたままにせずにはいられなかった。億劫というよりも恐怖が強かった。汚れてしまった紙切れがあるならば僕は捨ててしまいたい。否、それは誰だって同じだろう。犬が遠吠えをするのと同じように、白い紙切れは宙に舞うのだった。ゴミは部屋に溜まっていくばかりで、一度も開いていないカバンや、ギターや、脱ぎっぱなしのTシャツに火をつけたかった。雪なんて積もっていないじゃないか。失われた2200円のことなどを思った。

それでも僕は結局一人でいることを選択した。兎にも角にも、頭の中の国会は大紛糾しているのだ。戦時中などはまさにこのようだったろう。欲しがりません勝つまでは。半纏にホウキを持った少女の顔などが浮かんだ。

結局夜に限らず冬は寒いのだ。凍える足をさすりながら、春の訪れを待つ。だが、何年も前に春はもう過ぎ去ってしまっていた。顔を隠すようにして布団を体に巻きつけている自分はなんて哀れなんだろう。

海底に沈む

イヤホンの隙間を縫って、僕の右耳からは、また人工的な波音が聞こえていた。

サカナクションの「ドキュメント」が流れていた。音楽が世界を色付けるものだとして、彼らの音楽は僕の世界を青色に染めた。そして、僕の世界に沈黙をもたらした。彼らの音楽を聴いているとき、僕は海底に沈んでいるようだった。光も届かぬ、深い、海底だ。

youtubeでダイバーの動画を見た。深い水槽に潜っていくダイバー。潜る、というより沈む、といったほうが正しいだろう。彼は無用な挙動を一切せず、身を任せて、深い穴へと静かに沈んでいった。静かで、美しい動画だった。

ここ3日間は一人で作業をする時間が続いた。ビルの頂点が赤色に点滅するのを見ながら、僕は明治通りを歩いていた。薄い雲がかかった高層ビルは僕を見下ろして、まるで邪悪な帝王みたいな威圧感と禍々しさを醸し出して佇んでいた。

プラネタリウムのことを思い出した。横顔と、人工的に作り出された満点の星空と、夕焼けと、スカイツリーと、川面に浮かぶ屋形船。そんな景色が浮かんでは消え、浮かんでは消えた。くるりの「東京」の歌詞が思い返された。「楽園」と言われるこの街で、頼る人のいない心許なさを抱えて僕は狭い歩幅で歩いていた。

酔った女の甲高い喧騒や、通り過ぎていく恋人たちや、スーツを着た身長の高い男の笑い声、その他多くの音は、イヤホンをした僕の耳には届かなかった。僕はダイバーのように、音楽に身を任せて、光も届かぬ海底へ沈んでいく。海面ではエンジンまじりのさざ波が揺れる。ビーチでは楽しそうな笑い声。閉鎖空間とネオンライト。暗い海底に沈んでいく僕。

人が星の数ほどいるこの摩天楼の下で、僕は一人だった。

二十億光年の孤独

夜空に輝く星たちは、夜空一杯に広がって、密集しているように見える。でも、星同士の距離は、人間が一生かかっても到底辿り着けないほど離れているらしい。外側からはこんなに近くに見えるのに、いざ隣同士に並んで見えても、当事者同士の間にはとてつもない距離がある。

僕は周りの人に恵まれ、とても幸せな生活を過ごしている。友達もいるし、家族も無事だし、大切な人たちを愛し、愛され、今日も生きている。

でも、そんな恵まれている生活を送っているのに、毎日孤独に潰されそうになりながら生きている。正確に「孤独」の意味を当てはめると、これは孤独ではないかもしれない。でも経験上、これは孤独だ。

寂しいと感じることが増えた。多分ないものねだりなんだろうな、と思う。一緒にいればいるほど、一緒にいない時間を意識してしまって、寂しい。誰かと一緒にいれば忘れられるのに、一人になると思い出してしまう。そして、潰されそうになる。主に、夜にやって来る。

谷川俊太郎の詩に、「二十億光年の孤独」というものがある。その中に、「万有引力とは ひきあう孤独の力である」という一節がある。万有引力にはすべての物質に存在し、引き合っている。でも、孤独だという。すべての物質が引き合っているはずなのに、どうして孤独になるんだろう。引きあえば引き合うほど孤独になり、もとめればもとめるほど孤独になる。引力はどんどん強くなっていくのに、二十億光年は二十億光年のままだ。計画を立てて、ロケットやワープ装置の準備をして、覚悟を決めて、やっと二十億光年先の星に会いに行ける。実際は二十億光年もなくて、たぶん地球と火星くらいの距離なんだろう。もっと遠い距離でも上手いこと光ってる星はいくつもある。それでも、茫漠とした距離が感じられる。月と地球みたいに、常に隣にいてくれれば、100万円をだれかにばら撒く程度でいつでも会いに行けるのに。

 

 

 

 

 

二十億光年の孤独   谷川俊太郎
 
 
人類は小さな球の上で
眠り起きそして働き
ときどき火星に仲間を欲しがったりする
 
火星人は小さな球の上で
何をしてるか 僕は知らない
(或いは ネリリし キルルし ハララしているか)
しかしときどき地球に仲間を欲しがったりする
それはまったくたしかなことだ
 
万有引力とは
ひき合う孤独の力である
 
宇宙はひずんでいる
それ故みんなはもとめ合う
 
宇宙はどんどん膨らんでゆく
それ故みんなは不安である
 
二十億光年の孤独に
僕は思わずくしゃみをした

銀河鉄道の夜

北風は吹雪くのをやめ カシオピア輝いて

恋人たちは寄り添って 静かに歌うのでした

 

 

恵比寿ガーデンプレイスは煌びやかで、そこに集まるカップルたちは穏やかな様子で赤い絨毯の上を歩いていた。「もうクリスマスだね」と君は言った。そうだね、と僕は返して、それからは君の高校時代の思い出を聞いたりしていた。

君の行きつけの珈琲店に行って、君の知り合いの店員さんに会釈をして、少し熱い珈琲を啜った。君は途切れることなく話を続けて、僕は頷いたり相槌を入れたりしながら君の話を聞いていた。前日のアルコールのせいか緊張のせいかは分からないが、何回も何回も頻繁にトイレへ行ってしまった。君は笑いながらまた?と言って、時折煙草を吸いに外へ出たりしていた。


君は頬を赤らめて、時折八重歯を見せて、その満月のような眼を三日月にしていた。その表情はきっと君の本当の気持ちを示していたのだと思う。共通の友人の名前を出して、気持ちがわかるね、とお互い照れ臭そうに笑った。水に何度も口をつけても唇の乾きは収まらず、時折俯きながらそれを誤魔化した。熱かった珈琲が冷めきるまで僕たちは話を加熱させて、一杯の珈琲で3時間近くも店内に留まっていたことを申し訳なく思った。店外にはクリスマスツリーが派手な電飾で彩られたりして、昼のように明るかった。


絢爛と喧騒を抜けて、僕たちは夜の道を歩いた。まっすぐな道だった。時折赤信号が僕らの歩みを止めては、青信号が僕らの足を踏み出させた。誰もいない夜道に僕らの声は響いて、そんなことも知るまいと、埼京線は僕らの話を遮った。今日は一段と風が冷たかったが、頬が熱くなっているのか、そこまで寒さを感じることはなかった。その夜道は僕らだけの世界だったが、口笛を吹く自転車や、しゃがみながら煙草を吸う二人組や、灯りの消えた喫茶店のガラスを鏡にして踊る若者のものでもあった。だが、過ぎ去っていく彼らとは違って、君は僕の隣を歩いていた。


僕は信じきることができず、足をついて踏みしめている最近の生活とは対照的に、シャボン玉がふわふわ宙に浮く感覚に似ていた。その心の浮つきで、僕の身体も浮かんで東京の夜空に飛び立ってしまいたかった。

 


銀河鉄道の夜 

僕はもう空の向こう 

飛び立ってしまいたい

あなたを 想いながら

蒼き日々

「1年通してやり続ける」ことの難しさと言ったら別格なものがある。「1年間歩き続けていかなければいけない道」を始めて見通した時には茫漠とした不安感や絶望感を想ったものだ。途中には雲を突き抜けるような巨大な壁があったり、土砂降りの雨が降って凍える夜もあった。しだり尾のような長い長い夜を一人で眠る、そんな孤独感は僕を押しつぶそうとした。東京の街で一人で歩き続ける、そんなことに対しての、えも言われぬ孤独感がそこにはあった。新しいことに挑戦する前には失敗や困難はつきものだ、と分かってはいても、目を伏せざるをえない僕がいた。いっそのこと歩くのをやめてしまおうと思った時もあった。僕を照らしてくれるような光はそこにはなかった。

しかし、僕は歩き続けた。決して歩き続けたいわけではなかった。なぜか僕は歩き続けてしまった。歩き続けることが非常に困難であるにもかかわらず、だ。僕の困難も知らず、僕の隣には陽気に笑う笑顔があったり、幸せを語る言葉があったりした。そんな彼らの笑顔が僕は好きだった。妬ましくて、絞め殺したいほどに憎かった彼らのことが僕は好きだったんだ。僕は叫び続けた。僕が愛するものへの愛、そして僕を愛する彼らに対する愛を。憎かったはずの彼らを、僕は本当に憎むことはできなかった。きっと彼らのことが僕は好きだったんだ。

半年経って、さらにもう半年経とうとしている。茫漠と長く困難に見えた道を歩く僕は笑顔だった。成長したな、と彼らは言った。あろうことか、僕は道を歩くことを楽しんでいた。共に道を歩く仲間たちはいつのまにか増え、話すことがなかったような人と朝が明けるまで話し込んだり、信じられないような人が僕のことを好きだと言ってくれたり、とにかく僕は嘘のような本当の日々を僕は楽しんでいる。目標達成はまだできていないし、そのレベルまで達しているのかはわからない。だが、僕は目標クリアのためだけに生きている人よりは幸せなのではないかと思う。だって道を歩くことをこんなに楽しんでいるから。同じような感情を持った彼らへの愛しさや、終わっていく蒼き春のような日々に対する愛しさで僕はいっぱいになる。彼らの笑顔をいつまでも隣で眺めていたいなと思う。日々を懸命に生きて、懸命に楽しむ彼らが僕は好きだ。愛してやまない。そんな兄弟みたいな彼らに対する愛を僕は全力で叫んだり、語ったり、歌ったりしなくてはならない。きっといつの日か髪の毛が黒くなって、白くなって行くような日がきっと来るだろう。きっとそれぞれの日々を僕たちは過ごしていくのだろう。それでも、そんな日々が来てもふとした瞬間に、この蒼き日々を思い出せたら今この道を歩き続ける意味はあるのだろう。終わって欲しくないこの道を、愛してやまないこの道を、僕はまだまだ歩き続ける。